やまびこの響き

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希望という名の光 ~3.11 東日本大震災から4年

こんばんは、ライカブです。

私は今、神妙な面持ちでこの記事を書いています。

 

そうです、本日は3月11日。

4年前の今日、14時46分に日本国内最大の規模の大地震が起きました。

東日本大震災、正式名称は「東北地方太平洋沖地震」です。

 

今日のタイトルは山下達郎さんの曲、「希望という名の光」から取りました。

 

Ray Of Hope

Ray Of Hope

 

 

この曲は私が大好きな曲でもあります。

 

皆さんはこの本をご存知でしょうか? 

 

私が読んだ中でも一番読み応えのある本です。

ドラマ化もされて、何年か前に日本テレビで放送されました。

 

石巻日日新聞社の震災時にどう情報を伝えたか!!

震災に遭われた記者たちの魂、思い、そして希望が綴られた本でした。

私のオススメの本です。

 

 

震災当日を思い出す・・・・

ここからは震災の時のことを、思い出しながら書きたいと思います。

 

当時私は、卒業を控えた小学校6年生でした。

その頃からコミュニケーション能力が乏しく、通級学級という特別支援教室に通いながらの小学校生活でした。

 

2011年3月11日金曜日、小学校生活最後の通級学級が終わり、普通教室の家庭科の授業に戻りました。

 

10分後、ぼーっと外を眺めているとカタカタ音とともに小規模の振動が。

地震と察知して机の下に潜り込めるように体制を作っていた瞬間!!

ガタガタとけたたましい音が響き、これまでに経験したことのない揺れを感じました。

東京都は震度5弱の観測ですね。

 

私のクラスは変わっていて、机の配列がコの字形になっていました。

私はその一番端で、すぐ後ろがロッカー。

さらにロッカーの上には水槽が・・・・・。

 

大きな揺れとともに水槽が揺れて落ちてきそうでしたが、少しだけ段差っぽいのがあり、落下は免れました。。

あの時のことは忘れもしません。

校長先生が必死で「これは訓練ではありません!!」と放送で叫んでいたのを思い出します。

 

揺れが収まり、防災頭巾をかぶり外に出ました。

先生方が慌てふためき色々と情報が交錯していました。

 

とりあえず下校という判断が下り、親が来るものは親待ち。

私は父と二人ですので一人で帰ることにしました。

 

ランドセルを持ち、一階に降りたところで余震が。

緊張が走りましたね。

その後、何事もなかったように家に帰ってこれましたが、帰ってからが大変でした。

 

テレビをつけるもひっきりなしに流れてくる緊急地震速報の音。

そして不安を煽る大きな揺れ。全てが地獄でした。

父と連絡が取れたのはそれから2時間後の18時半。

父が帰ってきたのは19時半でした。

 

その間に目にした津波の映像は想像を絶するような光景でした。

千葉のコンビナートは火災、岩手・宮城・福島は大津波

確か気仙沼も火災が発生していたような。

千葉・茨城沿岸では液状化現象と地盤沈下

 

恐ろしすぎて心の中でずっと母を呼んでいた覚えがあります。

 

 

被災した方々への言葉・・・・

2011年の大震災から早くも4年が経ちます。

多くの人が大切な方を亡くされ、ご自身も怪我などをされたことでしょう。

 

東北地方の方々へ、1日も早い復興と亡くなられた方へのご冥福をお祈りいたします。

 

また一昨年は石巻にお邪魔させていただき、地元の方々の温かさに感動しました。

辛い経験を思い出してまで、震災時の経験を話していただいたこと、心からお礼申し上げます。

 

 

 

幾年前か皆様の経験等、現地に赴いてお話を聞かせていただいたのです。

それに関しては後日、記事にまとめたいと思います。

 

それでは今日はこの辺で失礼します。